クロガネ・ジェネシス
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第ニ章 アルテノス蹂 躙
第43話 嵐の前
全体が黒く塗られた、巨大な円形の宿屋。アルテノスにある宿の中で最も大きいその宿屋には、レジーが泊まっている。
その屋上に彼女はいた。
「ウソでしょ?」
レジーは我が耳を疑った。
体中が震えている。悪寒がする。事実を事実と受け止めきれない。信じられない。
「もう1度言う。全滅だ。お前の兄弟全員がな」
「…………」
レジーにそう言っているのはジストだった。彼は淡々と、そうするのが当たり前という用に、事実だけを告げる。
レジーの兄弟はことごとく敗北した。命を奪われるという形で。
兄弟達の力なら、自分が戦う必要などないほどに、アルテノスを蹂躙しつくせるはず。そう思っていた。それなのに……。
――全部……返り討ちにあったって言うの…………………………ありえない!
「人間はお前が思っているほどバカではない。お前達は奴らを過小評価していた。たかが人間と侮っていた。
それがこの結果だ……」
レジーは沈黙した。
言葉が出てこない。何も考えられない。しかし、やがてその瞳に炎が宿った。
「…………」
「どうするつもりだ?」
「…………」
彼女は無言のまま、屋上の手すりに近付いていく。
そして唐突に語りかけた。
「あんたさぁ……」
「?」
「復讐したい相手がいるんじゃなかったっけぇ……?」
「ああ……」
「あたしが殺っちゃっていいの?」
「好きにしろ……」
「そ……」
そう言ってレジーは屋上から飛び降りた。
ジストはそれを見届けてから、自身もその場から退散することにした。
「奴自ら動くか……あいつが本気になれば、奴らは跡形も残らない……」
そういってジストはかつて鉄零児に抱いていた感情を思い出す。
「復讐か……」
何故かはわからない。しかし、確かに今、彼の心に復讐心はなかった。鉄零児という人間に対するこだわりが心の中から消えていったのだ。
鉄零児に対する復讐の思いこそが、自分の存在意義。そう思っていたことすらあったはずなのに。
「所詮……俺も奴の操り人形ってことか……」
レジーはアルテノスの町中を走る。自分が覚えている、兄弟達の匂いを追って。
その最中に見た。
秩序の崩壊した町の中にさまよう有象無象の虫ども。
ある者は誰もいなくなった店に入り、食料を漁っていた。
ある者は徒党を組んで亜人の死体を弄んでいた。
ある者は壊れたように笑いながら、酒に溺れていた。
ある者は性の欲望を満たすために強姦していた。
――醜い……。
醜くて醜悪な人間達の本性。人間の中にはこんな連中もいるのだ。そう思うと急激にムカムカしてきた。
そんな中を、彼女は自らの兄弟の死に場所を求めて走り抜く。
嵐竜《ストーム・ドラゴン》の亜人、ダリアは首から先がなくなっていた。
火山竜《ヴォルケイス・ドラゴン》の亜人ラーグは首を捻り切られていた。
シーディスは巨大な死体となってアルテノスの町中に倒れていた。
ゴードに至っては死体すら残らなかった。
彼女はそこでようやく、もう兄弟達に会えないことを悟った。
悲しい……。
あまりにも悲しすぎる。涙すら出てこない。吐き気と怒りだけが強く込みあがってくる。
しかし、彼女は耐えた。
まだ泣くわけにはいかない。まだ、悲しむのは早い。
アルトネールの誘拐と、エルノク国を亜人のものにする。それが彼女達の目的だった。前者は自分が母と崇める存在のため。後者は自分達のため。
しかし、もうアルトネールの誘拐などどうでもいい。今彼女の心にあるのは、復讐心のみ。
レジーは復讐者《アヴェンジャー》として戦うことを選んだ。
彼女は歩く。もっとも人間の多いところへ。もっとも人間が自分のことを見るであろう場所を捜して。
「みんな無事?」
アマロリットはゴードと戦った者達全員を見る。
また、みんなも、お互いの無事を確認する。
「無事のようだな」
「これも姉さんのおかげね」
バゼルとアマロリットは今回の戦いの要となったアルトネールに目を向ける。
「皆さんが力を貸してくれたおかげです。だから、今回の戦闘もスムーズに運ぶことができたのです」
アルトネールは謙遜する。しかし、これほど短時間で決着をつけることができたのは間違いなくアルトネールがいたからだ。それは疑いようのない事実であった。
「さて、全員の無事が確認できたところで……零児」
「ん?」
「アーネスカはどうしたの? それとその娘は何者?」
アマロリットはせめるでもなく淡々と聞いてくる。
「この娘については長くなる上に、上手く説明するには情報の整理が必要だ。だから、後。アーネスカは……」
零児はアーネスカと自分が分かれて行動している理由を話し始めた。
遡《さかのぼ》ること数分前。
シーディスを倒した直後。
「何よ……あれ……」
飛行竜《スカイ・ドラゴン》、ガンネードの背中から零児とアーネスカが見たもの。
それは、巨大化し本来の姿に戻った。ゴードだった。
アルテノスの現状を鑑《かんが》みて、意気消沈気味だったアーネスカの心に大きな衝撃を与えた。
「まだ……続くのね……この戦い……」
「そういうことだな……」
零児は今更になって、アーネスカの気持ちを考えた。
亜人は両親の仇。
アーネスカにとって、それは厳然たる事実であるはずだ。しかし、アーネスカは亜人全てではなく、あくまで自分を殺した亜人のみを憎んでいる。
そんな彼女が自分達の命を奪おうと行動している亜人達と戦っている。
それはどんな気持ちなのだろう?
そう考えていたときだった。
零児は自分の服が引っ張られている感じがした。
「ん?」
零児の服の袖。それをエメリスがグイグイと引っ張っている。
「どうした? エメリス」
エメリスは興味津々な瞳で地上を見つめる。
「誰か呼んでる……」
「誰かって……誰が?」
「……?」
アーネスカも見知らぬ女の子の言葉に耳を傾ける。
「レイジの知ってる亜人」
エメリスはある一点を指さしている。
「え?」
零児はガンネードの高度を下げる。そして、エメリスが指さしている亜人の姿を、零児も肉眼で確認した。
「アーネスカ、あの娘……」
「ユウちゃんだわ!」
猫の亜人、ユウ。飛行するガンネードを、先ほどから、しかも地上から追いかけてきている。
零児は彼女の元へと向かうべくガンネードの高度をさらに落とした。
「ハァ……ハァ……気づいてくれてよかったです……!」
ユウは息を切らせたまま、しかし安堵の笑みを浮かべ零児とアーネスカを見る。
「ユウちゃん、何があったの? 確か貴方、火乃木の護衛をお願いされてたはずよね?」
そう言われ、ユウの表情が緊張の色を帯びる。
「そうなんです。しかし、火乃木さんは、どうしても黙っていられないっていって……」
「制止を振り切って、アルテノスの町中に来たっていうの?」
「申し訳ありません……」
ユウは頭《こうべ》を垂れた。
「今、全力で探しているのですが……その途中で、お二人が、あの亜人と戦っているのを見て、お話しておこうと……」
「だからガンネードの後を追ってきたのね」
「はい……」
ユウの表情は再び申し訳なさそうになる。
「そんな顔しないで。きっとすぐに見つかるわよ」
「そうだといいのですが……」
「アーネスカ」
そこで、今まで口を閉じていた零児が口を開く。
「何よ?」
零児は神妙な面持ちでアーネスカに伝える。
「火乃木の捜索を任せたい」
アーネスカにとって、零児から唐突にそうお願いされるのは以外なことだった。
「あたしに人探ししろってこと?」
「そうだ」
少しだけ考えて、アーネスカはその理由がわかったような気がした。
「あんたはそれでいいの?」
「何がだ?」
「大方、火乃木に戦力外通告したのが辛くて、顔あわせられないだけなんじゃないのかって聞いてんのよ?」
嵐竜《ストーム・ドラゴン》の亜人であるダリアと戦う直前。零児は火乃木に戦わない方がいいことを告げた。
実際に零児はそうするべきだと思った。血生臭い戦いが始まるような気がしたし、実際そうなっている。
零児は火乃木に戦うことより、安全な場所にいてほしいと思っていた。
「俺は答えを出さなきゃいけないんだ」
「答え?」
「ああ、あいつの気持ちに対する……俺の気持ちをさ……」
零児は火乃木の気持ちを理解している。零児はその思いに答えたいと思っている。そして、その答えを出すときは今なのではないかと思うのだ。
亜人と人間の戦い。この戦いは零児に取っても辛いものだった。
誰も死なない戦い。零児はそれを心がけてきた。止むを得なく死亡してしまうことはあっても、自ら進んで命を奪うような戦いだけはしたくないと常々思っていた。
しかし、今回はそんな生ぬるいことを言ってはいられない。アーネスカ達がやったように、命を奪う形になってでも敵を止めねばならないのだ。
「俺はこの戦いを通じて、その答えを、どんな形でもいいからだしたいと思ってる。だから、俺は逃げるわけにはいかない……! 戦いの中でしか、その答えを見つけられないと思うから……」
「そう……」
アーネスカは軽く笑みを浮かべた。
「わかったわ。そう言うことなら、火乃木の捜索はあたしとユウちゃんに任せなさい! 必ず探し出してみせるわ」
「頼む」
「ええ! ユウちゃん、いきましょ」
「は、はい!」
ユウは零児に対して軽く会釈をすると、アーネスカと共に、火乃木を探しに向かった。
それが、零児とアーネスカが別行動を取った理由だった。
「なるほどね……じゃあ、今アーネスカとユウは、火乃木を捜してアルテノス中を見て回っているわけね」
「ああ」
「じゃあ、姉さんの魔術で今どこにいるのかを火乃木本人に聞いてみましょう。その方が手っとり早いわ」
「あ、そうか……」
アルトネールの精神感応魔術。他人の意識と神経を繋ぎ、離れていながら会話が可能になる能力だ。
「申し訳ありませんが……」
そこでアルトネールが口を開く。
「今の私に魔術を発動するための魔力は残っていません。少し休息を取らないと……」
「むぅ……」
アマロリットは腕組をして軽く唸った。
「じゃあ、手分けして捜すしかないか……。バゼル。火乃木の匂いはわかる?」
「それなら問題ない。嗅ぎ分けるのが少々大変だが、1ヶ月も共に生活していたんだ。問題なく見つけられるだろう」
「そう、それじゃあ……」
その時だった。
全員がビクッと震え上がった。
凄まじい轟音が聞こえたのだ。
同時に空に閃光が走る。
「雷……か……?」
零児はぼそりと呟いた。
そう。その凄まじい轟音と瞬く稲光は雷そのものだった。
「それにしてはおかしい。空は全く曇っていないぞ!」
バゼルの言うとおり、空に雷雲はない。星が瞬いているのみだ。
「じゃあ、この音は……?」
アマロリットの言葉は再び遮られた。またも雷鳴が轟いたからだ。しかも、雷はアルテノスのどこかに落ちた。その衝撃がここまで伝わってきたのだ。
「ただの雷じゃなさそうだな!」
雷雲無き雷。それだけで十分異常だ。ギンは真顔でそう言いきる。
「確かめに行くぞ!」
バゼルの言葉に全員が頷き、雷が落ちた場所に向かった。
彼女は晴れ渡った空の下にいた。
広がるのは草原。その中心にはちょっとした丘と、巨木が1本生えている。
白銀火乃木《しろがねひのき》はその巨木の下で虚空を見つめていた。
彼女の目の前にはもう1人、自分とまったく同じ姿をした少女がいた。
長い黒髪、チャイナ風のフォーマルドレス、同じ輪郭と髪型。唯一違うのは、その瞳だった。
巨木に背を預けている火乃木は目の前の『彼女』を見つめる。その顔は老婆の様に皺だらけだった。
「君は……だれ?」
『ワタシはダレでもない。そんなことよりキきたいことがあるの』
「僕は聞きたいことなんかないよ」
『ウソ』
淡々と何の感情もない呟きは、どこか人形めいている。
『どうしてニンゲンがスきなの?』
「理由なんか……知らない」
『ニンゲンはアナタにあれだけヒドいことしたのに?』
「なんでそんなこと聞いてくるんだよ……?」
もう1人の火乃木の言うことに、火乃木本人はイラっときた。
忘れていたい。思い出したくない。
人間にいじめられた記憶。
亜人であることは、人間にいじめられることと動議だった。
亜人の中には人間を積極的に襲うものと、人間から身を隠しひっそりと暮らそうとするものに分かれていた。
彼女は後者だった。人間を襲ったことなどなかった。人間は恐ろしい存在として教わった。だから、彼女は人間を恐れて身を隠すことで生きてきた。
だが、それも終わりの時がきた。
視線だけで感じる殺気。
猪か何かの如く自分に襲いかかる人間達。
幼い火乃木に抵抗の術はなかった。
捕まって、彼女は牢獄に鎖で繋がれたまま、何週間も飲まず食わずのまま放置された。
どれくらい経過した頃かは不明だが、その後彼女は、亜人への見せしめという形で処刑されることになった。
「やめて……」
忘れていたい記憶が彼女の網膜にフラッシュバックする。目を閉じてもその記憶は浮かび上がってくる。
頬を殴られた。
頭を踏みつけられた。
火乃木はストレス解消の道具のように扱われた。
「やめろぉおおお!!」
火乃木は叫んだ。直後、もう1人の火乃木は困惑したような表情を浮かべた。
「どうでも……いいよ、そんなこと!」
『どうでも……いい?』
「そうだよ! だってどんなにイヤな思い出でも、そんなのはもう、過ぎ去った過去のものでしかない! 今のボクには関係ない!」
『フクシュウしたいとはオモわないの?』
「そんなことしてどうなるの? 過去がなかったことになるの!? ボクは決めたんだ! もう過去なんて振り返らないって! 前だけを見て生きていくって! あの人の為に生きていくって!
ヒノキって名前を貰った時から、そう決めたんだ!!」
火乃木はあらん限りの声を張り上げて叫んだ。
もう1人の火乃木はひどくつまらなそうな顔をした。
その不気味に光る赤い瞳は既に彼女を見ていない。
『そう……じゃあまたアナタのココロにカゲがオちてきたトキにでもアいましょう……』
「2度と来るな! ボクの心を犯すな! お前なんかにボクは負けたりはしない! 絶対に負けたりしないからな!」
その気迫に押され、もう1人の火乃木はどこかへ消えていった。同時に、草原が、丘が、巨木が消え去り……。
火乃木は現実を見た。
「ハァ……ハァ……。治まってきた……」
火乃木は民家の壁に手を突き、ゆっくり歩きながらそう言った。
火乃木は勝った。自分の心を多い尽くす黒い影に。
今では人間を憎悪する本能は治まってきている。もしその感情に流されていたら、自分はもう零児達と共に生きていくことはできないかもしれない。
そう思うと怖かった。そう思ったから耐えられた。
しかし、自分自身に対する恐怖は今も消えていない。火乃木は自分自身が怖かった。
それにしても……。
――血の臭いがする。気持ち悪い……。
彼女は先ほどからずっと鼻を突く血の臭いに吐き気を感じていた。
――どうして……こんなことに……。
火乃木はフラフラとした足取りで歩いていた。
人間、クロウギーンの死体。それらが街中に、無数に転がっている。
零児の言うとおりだった。
自分には何もできない。ただ泡食って見ているだけで、何に対しても干渉できない。
火乃木は己の力の無さを今以上に呪ったことはなかった。
――とにかく、レイちゃんやみんなに会わないと……。
次の瞬間、彼女は体をビクッと振るわせた。
雷鳴があたりに響きわたったからだ。
「ヒッ!」
耳を押さえ、目を閉じる。
雷は昔から嫌いだった。うるさくて鼓膜を破らんばかりの大きな音は普通の人間より感覚が鋭敏な火乃木には耳障り極まりない音だった。
「か、かみなり? 雨……降るの?」
そう思って空を見上げる。
「え?」
しかし、空は晴れ渡っている。雲一つ無く、星も、月も見えている。
「ど、どういうこと……?」
呆然としていると、さらなる雷鳴が轟いた。
近くに落ちたらしく、強い衝撃が彼女の体を振るわせた。
「イヤアアアアアアアアアアア!!」
耳が痛い。怖い。
「なんだろうこの感じ……」
火乃木は体を抱き締めた。体の震えが止まらない。いやな予感がして仕方がない。
「こんなことしてちゃダメだ……。ボクも……戦わないと……でも」
雷は嫌い。自分自身も怖い。どうすればいいのかもわからない。
「レイちゃん……死なないよね?」
何となく――。
そんな恐ろしい想像をしてしまう。それくらい今の彼女の精神は不安定だった。
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